神の「かたちとして」(創世記1:26-27)

2010年7月12日

第三版は、創世記1章26節・27節を「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」と訳しています。

ここで、従来の「(神の)かたちに」は「(神の)かたちとして」に訳し変えられています。なぜこのように改訳する必要があるのでしょう。まず、「かたちとして」と「似せて」の背後にあるヘブル語、ツェレム(かたち)とデムート(似姿)は、5章1節、3節でも用いられていますが、それらに付く前置詞が入れ替わっているだけで、二つの間には意味の違いはありません。これらは、紀元前9世紀のアラム語のファハリヤ碑文にもワード・ペアー(対語)として出て来て、共に、王の「像」を指しています。

「かたち」という語は、「神の」という修飾がつく時、単に人が神と類似しているというのではなく、人が神の代理として「治める者」であることを意味します。詩篇8篇の、「あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。」(6節)もそのことを指しています。これは、古代エジプトやアッシリアで、王が「神のかたち」であると考えられていたことに通じるものですが、聖書では、他のオリエントとは違って、王だけでなく「人」が、男も女も、「神のかたち」なのです。

このように、創世記1章は、人が「神のかたち」、即ち真の王である創造者なる神の代理として、即ち、神の「副指揮官」として被造物を治めるように創造されたのだと主張しているのです。ですから、再び28節で「地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と命じられています。

このような理解に立ちますと、従来の「(神の)かたちに」よりも「(神の)かたちとして」のほうが文脈に合っています。前置詞bを「に」ではなくて「として」と訳す可能性は、「全能の神として」(出エ6章3節)からも支持されます。