「償いとして」(レビ記 5:6)

2010年7月12日

「罪のためのいけにえ」と「罪過のためのいけにえ」の規定は、レビ記4章から6章 7節にかけて記されていますが、その二種類のいけにえの区別は、学問上、難しい問題とされてきました。しかし、「罪のためのいけにえ」の規定が 5章 13節で終わり、14節からは「罪過のためのいけにえ」が始まることは明かです。

そこで問題となるのが、5章 6節です。新改訳第二版では、「自分が犯した罪のために、罪過のためのいけにえとして、羊の群れの子羊でも、やぎでも、雌一頭を、主のもとに連れて来て、罪のためのいけにえとしなさい。」となっています。この訳では意味が分かりません。「罪過のためのいけにえとして」とある一方、「罪のためのいけにえとして」ともあるからです。

これは、アーシャームという語をいけにえの名称と捉えたためです。しかし、この語は、「いけにえ」の名称とともに、「賠償」という意味をもっています。「賠償として『罪のためのいけにえ』を献げる」という理解が正しいでしょう。そこで、第三版では、「自分が犯した罪のために、償いとして」と改訂しました。このことの背景としては、アーシャームに関係する語が、4章から6章 7節にかけて、次第に頻度を増しているという事実を指摘することができます。5章 1-13節は、「罪のためのいけにえ」に属しながらも、4章の場合よりは主に対する「賠償」という側面が全面に出た罪を取り扱っています。5章 14節から6章 7節の「罪過のためのいけにえ」では、その語がもっとも多く現れます。

また、これらの規定を正しく理解する上では、罪は罪でも、人の目に重い違反行為と見えるものが神の前にはそうではなく、むしろ、あからさまである故に軽いといった視点も必要でしょう。それは、「罪過のためのいけにえ」の罪が、聖所を汚すものではないことなどから言えます。