「ひとりの違反、ひとりの義の行為」(ローマ5:18)

2010年7月12日

新改訳聖書第二版のローマ5章18節で「一つの違反」「一つの義の行為」と訳されていた言葉を、第三版は「ひとりの違反」「ひとりの義の行為」と訳しています。原文にあるヘノスというギリシャ語は、中性形ととって「一つの」と訳すことも、男性形ととって「ひとりの」と訳すことも可能です。

この語は5章12-19節で12回も用いられていて、中性形ととるべきケースもあります。それは16節後半にあるヘノスです。「多くの違反」と対照されていることから、明らかに「一つ違反」だとわかります。18節はその「一つ違反」を取り上げ、それですべての人が罪ある者とされたことと「一つの義の行為」によって義認がもたらされたことを対比させている、と解釈すれば、第二版のような訳が生れます。その際、ヘノスが「ひとり」を意味するなら、12、15、17、19節のように「人」「イエス・キリスト」といった語を加えればよいのに、それをしていないのだから、意図は「ひとつ」にある、と論じることもできるかもしれません。

しかしながら、実のところ、そうした語を加える必要がない程、文脈は「ひとり」と「ひとり」、アダムとキリストのコントラストで貫かれているのです。5章12節以下で、アダムの違反にスポットが当てられていることは確かです。しかし、それと対比して、
十字架の死という「一つの義の行為」に注目を引こうとしているわけではありません。

違反と対比されているのは、むしろ「恵み」や「賜物」です。また18節における「違反」と「義の行為」の対照が、19節では「ひとりの人の不従順」と「ひとりの従順」の対照で置き換えられていることを見ると、十字架という「一つの行為」が突出しているようには思えません。とにかく、焦点は「ひとりの人」アダムと「ひとりの人」キリストにあって、それぞれの「一つの」行為にあるのではないのです。