改訂が必要とされた理由

2010年7月12日

a) 一つの訳語が聖書全体の神学に影響する場合

第三版では創世記1章2節の「地は形なく」を「地は茫漠として」と変えました。それは、従来の訳がヘブル語本来の意味からかけ離れていて、ギリシア哲学の影響を受けたものだからです。新共同訳の「地は混沌であって」という訳も、「混沌から秩序へ」という神話的図式をそこに読み込むきっかけを作る危険性があります。

「形なく」と訳されてきたヘブル語のトーフーは、申命記32章10節などで「荒地」と訳されています(ウガリト語のthwも同じ)。人間が知っている通常の「地」は、そこに人が住んでおり、動物がいて、植物が生えているところですが、創世記1章2節は、地がまだそのような普通の地ではないことを「茫漠として何もなかった」と説明しているのです。トーフーの訳出は、創造理解に大きく関わるだけでなく、聖書全体の神学を左右する大きな問題です。

b) 一つの語の理解によって意味が逆転する場合

第二版は1サム 1:5を「また、ハンナに、ひとりの人の受ける分を与えていた。彼はハンナを愛していたが、主が彼女の胎を閉じておられたからである。」と訳しました。しかし、第三版では、「しかしハンナには特別の受け分を与えていた。主は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。」と訳し換えました。それは、ヘブル語のアッパーイム(二つの鼻)が礼拝者がいただく肉の特別な部分を指していて、エルカナのハンナに対する特別な愛の表現をここに見ることが出来るからです。

c) 慣用表現の理解が深まった場合

「捕われ人を帰す」という表現は、しばしばバビロニア捕囚からの帰還を指すと解釈されてきました。しかし、この慣用表現は、ヨブ記42章10節にあるように、物事を「元どおりにする」ことを意味しています。ですから、第三版では、詩篇 126の1節を「主がシオンの繁栄を元どおりにされたとき、」と訳し、4節を「主よ。ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元どおりにしてください。」と訳しました。(詩14:7、85:1、エレ29:14、ホセ6:11参照。)

d) 「らい病人」を「ツァラアトに冒された人」に変えたこと

ハンセン病の人たちを「らい病人」と差別的に呼び、らい予防法の廃止を極く最近まで怠ってきた政府の怠慢と共に、我々も無関心・無意識のままに、その人たちを差別してきたことを反省して、適切な訳語を熟慮検討した結果「ツァラアトに冒された人」と暫定的に訳しました。ヘブル語のツァラアトは、皮膚だけでなく壁や衣服の表面にも現れる現象であり、何らかの理由で表面が冒されている状態を指します。しかし、それが病理学的にどのような事を指しているかは必ずしも明らかではありません。

しかしながら、差別語を聖書から排除しても、差別する人間の心が変わらないかぎり、新たな差別語を生み出します。キリストの福音のことばにこそ、罪を赦し、偏見から私たちを自由にする力があるのです。

今回は、部分的な改訂ですので、日本語の文体等の組織的な検討はしていません。聖書の改訂作業は、ことばが変わり、研究が進展する中で、より良い翻訳聖書を読者に提供して行くために、今後も継続的になされて行くべき事柄です。

それは、ヘブル語のアッパーイム(二つの鼻)が礼拝者がいただく肉の特別な部分を指していて、エルカナのハンナに対する特別な愛の表現をここに見ることが出来るからです。