『新改訳聖書』のルーツ

2010年7月12日

1955年に『口語訳聖書』が発行されたとき、筆者は11歳の子どもでした。恐らく自分たちが『文語訳聖書』で養われた最後の世代なのだと考えますが、当時のことは今も鮮やかに記憶しています。

我々がそれまで使っていた『文語訳聖書』は、厳密には旧約を「明治訳」「元訳」(1887年)、新約を「大正訳」「改訳」(1917年)と呼ばれました。明治時代に翻訳した聖書の新約の「改訳」が大正時代に先ず完成し、さらに旧約の作業も続けられましたが、やがてわが国が戦争に突入し、教会は苦難の道を歩み、作業も困難を極め、結局は旧約の改訳は行われず、「元訳」のまま残りました。

のちに『新改訳聖書』の旧約主任となった故名尾耕作氏(日本ルーテル教団)は、戦前戦中を通じて『文語訳聖書』旧約改訳の翻訳専任委員として働きましたが、終戦まぢかの1945年5月、銀座の聖書協会ビル内の、翻訳事務室のあった6階部分だけが戦火によって全焼し、貴重な資料を失ったことなどの当時の体験を書き残しています(『みことば』誌5号(1970年4頁))。

さて敗戦を迎えると、もはや文語の改訳ではなく、現代日本語の聖書を翻訳しようということになり、上述のとおり『口語訳聖書』が出版されました。けれども出来上がったこの翻訳に対してはさまざまな反対意見が唱えられました。「…するであろう」という訳では神の約束の確かさがあいまいになるとする文体上の不満、また釈義や神学の観点からは、神やキリストの権威をことさらに弱めるきらいがある、などの批判が相次ぎます。さらに、この翻訳の傾向は、同じ頃に出た英語聖書『改訂標準訳』(RSV.1946年に新約、52年に旧約)に追随するものだとも指摘されました。

これらの批判はいわゆる福音的な諸教会から挙がっただけではありません。今では古典とされる『聖書の和訳と文体論』(1973年・キリスト新聞社)で、著者の藤原藤男氏は『口語訳聖書』への批評を行いました。例えばRSVの影響が「アブラハムはイサクの父であり、…」(マタ1・2)、「信仰による義人は生きる」(ロマ1・17)などに、また「…キリストも彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン」(ロマ9・5)という訳にも見られること。「イエス・キリストを神ないし子なる神と呼ぶことを好まない者、人本主義者、近代主義者、ユニテリアン、アウリス主義者、自由主義者は、…RSVや聖書協会訳(すなわち『口語訳』 )のように読む」こと。このような訳は「いままでのところ日本では聖書協会『口語訳』だけである」こと。 使徒20・28では、底本としたネストレ校文に依拠せず、RSVを踏襲して「神が御子の血であがない取られた神の教会」と訳すのは、「…リベラリズムの臭気がただよって近よれない思いがする」こと。 『神ご自身の血』を抹殺して『御子の血』だけ他の校本から借りて来た姑息な翻訳姿勢には、人本的な小ざかしい知恵による非福音的なひよわなものがみえすいていて、鋭く批判されねばならない」こと。『口語訳聖書』以前は「なだめの供物」(ロマ3・25)と訳していたヒラステーリオンを「あがないの供物」として、「耳ざわりのよい、なめらかな弱々しい言葉におきかえ」、「罪に対する律法の怒りをおおうなだめの血」であるべきところを、「近代化してしまっては聖書の宗教にとって台なしである」こと、等々。

藤原氏は以上のように『口語訳聖書』を批判しました。序でながら氏は『新改訳聖書』の良い点として(もっともそれは翻訳として当然のことで取り立ててほめることでもないと断りつつ)、キリストの神格をはっきり訳したこと、『なだめの供え物』と訳して本来のすがたをとりもどしていること、などを高く評価するとともに、同時に文体上の弱点その他について、的確で公平な批評を行っており、それらの指摘には今なお傾聴に値するものがあります。

故藤原氏と同様の意見は、前述の通り福音的諸教会からも挙がっていました。そして福音的諸教会は『口語訳聖書』に見られるRSV的傾向よりも、『文語訳聖書・新約』(改訳聖書)の精神を受け継ぐことを願い、新しい翻訳に着手したのです。こうして完成した新しい聖書は文語体ではなく現代口語による翻訳ですが、文語訳『改訳聖書』の精神を大切にしたいとの思いから、『新改訳聖書』と命名されたのでした。このことは『新改訳聖書』出版前後のころに刊行されていた不定期『みことば』誌上で、『新改訳聖書』新約主任であった故松尾武氏(日本改革派キリスト教会)が繰り返し述べているところです。

17世紀初頭に生まれた『欽定英訳聖書』(AV.1611年)の改訂が、英国では『英改訂訳聖書』(BRV.1881ム5年)、米国では『米標準訳聖書』(ASV.1901年)として生み出されたこと、日本の『文語訳聖書・新約』(改訳・大正訳)はこの路線で行われ、また『新改訳聖書』もこの「従来の日本語聖書の伝統の線に…連なっている」こと(同誌第3号、1964年6頁他)、などがここに記録として残っています。

なおまた『新改訳聖書』が節ごとに改行するのも、『欽定英訳聖書』(1611年)、『ジェネヴァ聖書』(1560年)にまで遡る伝統であるとのことです。その手法の当否はともかくとし、また今後も『新改訳聖書』がそれを踏襲するかどうかもともかくとして、事実はそのようなことでした。以上のことから分かる通り、翻訳聖書の変遷には、聖書への態度や信仰の違いが大きな影響を与えます。また聖書翻訳には継続的な作業の積み重ねが必要であり、どの国の、どの時代の聖書の場合でも、それがどのような翻訳姿勢を継承しているかを表すために、ルーツがたどれるような名称を付けるものです。新鮮奇抜な名前であればよいというものではありません。 すでに述べたとおり『新改訳聖書』という名称に含まれる「改訳」の語は、いわゆる翻訳、改訂、改訳という場合の通常の意味ではなく、かつての『改訳聖書』の信仰や神学や翻訳の精神に則っていることを表す意味で「新改訳」と呼ばれるのです。

さて『新改訳聖書』の翻訳出版についてもう1つの経緯を明らかにしておく必要があります。すなわちアメリカのロックマン財団が、『新改訳聖書』第1 版の翻訳出版に当たって財政的援助を行ったことです。この財団はキリスト者の1篤志家が聖書翻訳やキリスト教教育を支えるために設立したもので、『新改訳聖書』と同じ時期に『新米国標準訳聖書』(NASV. 後にNASB.1971年)の改訂作業をも援助します。日本での『口語訳聖書』に対すると同じ危機感が、アメリカでもRSVに対して抱かれていたためでした。こうして図らずも日米で同じころにそれぞれの作業が行われたことから、『新改訳聖書』はNASBという英語訳の重訳だとの風評を流されることもありましたが、それは「本文批評上の問題点はNASVに準拠する」という当初の取り決めを誤解した向きがあったためのようです。事実NASBが新約に続いてその旧約の完成を見たのは『新改訳聖書』の旧新約完成(1970年)よりも1年後の1971年であったことからして、日本語聖書を英語聖書からの翻訳は物理的に不可能です。また旧約においては本文批評上の準拠も起こりえなかったのです。当時の各翻訳主任であった故松尾氏、故名尾氏、下訳を担当した多くの人々の名誉のためにも、この点を明確にしておかねばなりません。