「罪のためのいけにえ」と「罪過のためのいけにえ」の規定は、レビ記4章から6章 7節にかけて記されていますが、その二種類のいけにえの区別は、学問上、難しい問題とされてきました。しかし、「罪のためのいけにえ」の規定が 5章 13節で終わり、14節からは「罪過のためのいけにえ」が始まることは明かです。
そこで問題となるのが、5章 6節です。新改訳第二版では、「自分が犯した罪のために、罪過のためのいけにえとして、羊の群れの子羊でも、やぎでも、雌一頭を、主のもとに連れて来て、罪のためのいけにえとしなさい。」となっています。この訳では意味が分かりません。「罪過のためのいけにえとして」とある一方、「罪のためのいけにえとして」ともあるからです。
これは、アーシャームという語をいけにえの名称と捉えたためです。しかし、この語は、「いけにえ」の名称とともに、「賠償」という意味をもっています。「賠償として『罪のためのいけにえ』を献げる」という理解が正しいでしょう。そこで、第三版では、「自分が犯した罪のために、償いとして」と改訂しました。このことの背景としては、アーシャームに関係する語が、4章から6章 7節にかけて、次第に頻度を増しているという事実を指摘することができます。5章 1-13節は、「罪のためのいけにえ」に属しながらも、4章の場合よりは主に対する「賠償」という側面が全面に出た罪を取り扱っています。5章 14節から6章 7節の「罪過のためのいけにえ」では、その語がもっとも多く現れます。
また、これらの規定を正しく理解する上では、罪は罪でも、人の目に重い違反行為と見えるものが神の前にはそうではなく、むしろ、あからさまである故に軽いといった視点も必要でしょう。それは、「罪過のためのいけにえ」の罪が、聖所を汚すものではないことなどから言えます。
新改訳第二版のレビ記 4章 1節から 6章 7節までには、「罪に定められる」という訳語が何度か登場しています。(例えば、4章 13, 22, 27 節)。この語は、アーシェームというヘブル語です。つまり、法的な意味での裁きを示す語と理解されたと思われます。これまでの英訳の多くも、この語を’be guilty’ と理解してきました。
第三版では、この語を「咎を覚える」という、礼拝者の罪意識を反映する訳語に変えました。一つの大きな理由は、4 章 13, 22, 27 節、また、5 章 2, 3, 4, 5, 17 節、6 章 4, 7 節における意図は、礼拝者がいかなる時にいけにえを献げるかを示すことにあると考えられますが、第二版のような訳ですと、「いつ」自分がいけにえを献げるのかが示されないことになります (特に、4:22-23, 27-28 参照)。
そこで、近年では、アーシェームは、’be guilty’ ではなく、’feel guilty’ であるという説も出されています。しかし、従来の訳に対するこの訳のメリットはあるものの、純粋に主観的な意味となってしまい、神の前に現存する「罪」の結果としての「咎」という意味合いが薄れてしまいます。また、アーシェームに、罰を受けて「苦しむ」という意味を読み込む立場もあります。
しかし、「罪」とは何かとの問いにも関わることですが、テキストは、「苦しみ」が何から来ているかさえも分からない人間の実存を問題にしていると考えられます。結論として、アーシェームという語は、「咎」の客観的な側面と主観的な側面を表現したものであろうと考えます。近年では、Jewish Publication Society 訳や English Standard Version などが’realizeguilt’ という表現でそのような意図を反映させようとしています。また、主の禁止命令のひとつを行うことと、「咎を覚える」こととが、同時に起こるかのような印象を避けるために、「後で咎を覚える場合」と補足してあります。
第三版は、創世記1章26節・27節を「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」と訳しています。
ここで、従来の「(神の)かたちに」は「(神の)かたちとして」に訳し変えられています。なぜこのように改訳する必要があるのでしょう。まず、「かたちとして」と「似せて」の背後にあるヘブル語、ツェレム(かたち)とデムート(似姿)は、5章1節、3節でも用いられていますが、それらに付く前置詞が入れ替わっているだけで、二つの間には意味の違いはありません。これらは、紀元前9世紀のアラム語のファハリヤ碑文にもワード・ペアー(対語)として出て来て、共に、王の「像」を指しています。
「かたち」という語は、「神の」という修飾がつく時、単に人が神と類似しているというのではなく、人が神の代理として「治める者」であることを意味します。詩篇8篇の、「あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。」(6節)もそのことを指しています。これは、古代エジプトやアッシリアで、王が「神のかたち」であると考えられていたことに通じるものですが、聖書では、他のオリエントとは違って、王だけでなく「人」が、男も女も、「神のかたち」なのです。
このように、創世記1章は、人が「神のかたち」、即ち真の王である創造者なる神の代理として、即ち、神の「副指揮官」として被造物を治めるように創造されたのだと主張しているのです。ですから、再び28節で「地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と命じられています。
このような理解に立ちますと、従来の「(神の)かたちに」よりも「(神の)かたちとして」のほうが文脈に合っています。前置詞bを「に」ではなくて「として」と訳す可能性は、「全能の神として」(出エ6章3節)からも支持されます。
新改訳聖書・第三版では、従来の「地は形がなく、何もなかった」を「地は茫漠として何もなかった」と改訳しました。その理由は、ヘブル語のトーフーという語が、形があるかどうかを意味することばではなく、ウガリト語のthw(沙漠・荒地)のように、本来「荒野」とか「荒地」(申命記32:10,ヨブ6:18, 12:24)のような具体的な場所を指す語であったからです。「形がなく」(formless, without form)は、アウグスチヌス以来、西欧の教会に定着してきた訳語ですが、七十人訳聖書が受け継いでいるギリシア的思想を反映しています。そのギリシア語は、最近では、プラトンの『ティマエウス』という創造神話にまで遡りうると言われています。
1989年の改訂英訳聖書(REB) は、欽定訳以来、数百年にわたって受け継がれてきたこの訳語の代わりに、トーフー・ワ・ボーフーという表現をまとめて “a vast waste”(広大な荒地)と改訳しています。しかし、「茫漠として」は、地の状態が「荒地」であったと言っているのではありません。本来ならばそこに草木が生え、動物がいて、人間が住んでいるはずの地が、荒涼としてとりとめもなく広大な「荒地のような」状態であると宣言しているのです。この「茫漠として何もない」地は、神の霊、即ち神の「息」(ルーアハ)によって発される「ことば」により、草木を生じるようになり(11-12節)、動物を生じるようになるのです(24節)。そして、神は、このように整えられた地に、ご自身の「かたちとして」(次回参照)創造した人間を置かれたのです。
創世記1章の記述は、冒頭から、「地」に注目し(2節)、神の創造の業のクライマックスとして「地」に存在するようになった「人」に焦点が当てられています。それは、すでに「地」に置かれている人間に、人間がまだ存在していなかった時の、体験的には知りえない「地」の状況を、人がすでに知っている「荒地」という普通のことばを比喩的に用いて、「地」がまだ通常の地ではなかったことを伝えているのです。
身体的な弱さを表す語として従来使われていたもの、例えば「めくら」「おし/つんぼ」等は、「目の見えない人)/盲目/盲人」「口のきけない(人)/耳の聞こえない(人)」などに変更されました。それは、原文において差別や侮蔑の意味が含まれていないと判断した―殆どがそうですが―場合としました。しかし、これらの変更のために、個所によっては訳文が説明的、冗漫になり、新たな課題を今後に残したものもあります。
急を求められつつ困難であったのは、ヘブル語「ツァラアト」・ギリシャ語「レプラ」に相当する日本語を見いだすことです。わが国では一般にハンセン病への差別を含めて「らい病」の語を使い、今日では完治するこの病を長きに亘って不当に隔離し、元患者の人々に深い苦悩を強いてきたことから、訳語の変更を求める声の高まる中ではありながら、ふさわしい語を見いだすことは大変に難しいことでした。諸教会へのアンケートをも参考にしながら、ようやく「ツァラアト」「ツァラアトの者・人」「ツァラアトに冒された(者・人)」とすることになりました。詳しくは「改訂第三版あとがき」及び逐次発表予定の改訂版全般に亘る解説をご覧いただきますよう、お願いいたします。
なお、このように訳語を改めても、人の心が変えられない限り、それが再び新たな差別語や不快語になり得ることを、銘記すべきだと考えます。
訳文に関するその他の改訂は、すでに以前から提案されていた個所に限るという方針のもとに行いました。
底本の更新、詩文・法律文・書簡文等の各文体の再検討、丁寧語の簡素化、表記法の変更等、についての抜本的な見直しは、今後の課題と認識しています。それでもなお、新しい研究の成果を生かした重要な個所を、ここかしこにご覧いただけるものと思います。
改訂個所の一覧は、第三版の発行と同時に、別刷しおりの形でも発表する予定です。(こちら のページに一覧表があります)。
なおまた、高齢化社会の要請に応えて、各頁の行数を減らすなどの工夫をしたため、大変に読みやすい日本語本文となりました。しかし、その結果、小改訂でありながらも、第二版とは頁が合わず不便を来すこともあるので、各頁下段に旧版の頁数を入れることとしました。
みなさまのご了解をお願いいたします。