
「公義」という訳語を撤廃した理由について
第三版で「公義」と訳されていた箇所は60箇所ありました。原語は、旧約はすべてミシュパート、新約はすべてクリシスです。しかし2017では、「公義」は一度も用いられていません。「公義」という言葉は、おそらく新改訳の造語だったのであろうと思われますが、2017であえてその造語を撤廃した理由は何でしょうか。...
「聖書 新改訳2017」の翻訳・編集・著作権の管理を行っています。
第三版で「公義」と訳されていた箇所は60箇所ありました。原語は、旧約はすべてミシュパート、新約はすべてクリシスです。しかし2017では、「公義」は一度も用いられていません。「公義」という言葉は、おそらく新改訳の造語だったのであろうと思われますが、2017であえてその造語を撤廃した理由は何でしょうか。...
第三版で「さばきつかさ」と訳されていた箇所は48箇所ありました。ところが2017では、そのうちの13箇所は「さばきつかさ」ですが、他の35箇所は「さばき人(25)」「さばく者(8)」「さばきをする(1)」「指導者(1)」と異なる訳語が用いられています。原語が違うのかと思い調べましたが、これら48箇所...
「呪う」と「のろう」の区別の意図を示して下さると幸いかと思います。おそらく、人の行為は「呪う」、神の宣言は「のろう」になさっているのだと思うのですが。と同時に、もともと原語では別の言葉ですから、なぜ、別の日本語を用いなかったのだろうか、とも思いました。従来、同じ訳語を用いてきた経緯のゆえかとは推察し...
2017年版は兄がぶどう園に行きました。以前の3版までは、全て弟がぶどう園に行きました。兄が行ったのは「新共同訳」も同じです。翻訳は間違えてはいません。底本の違いによりその様な翻訳になる事はわかりますが、なぜ急に兄にしたのでしょうか。ずっと弟と説明してきました。もし、底本の違いだとすると、ほかの箇所...
「わたしが喜びとするのは真実の愛」と当該箇所で訳されています。分かり易い訳ですしギリシャ語が透過できる語順だと思いますが「真実の愛」と訳された根拠はどこにあるのでしょうか。これまで通りの「エレオス」というギリシャ語を真実の愛と訳されたのか、あるいは、何かの本文の変更があったのか知りたいです。また、読...
第一歴代誌20:4の「ラファ」は2017では「レファイム」に変わっていますが、20:6の「ラファ」はそのままです。何か意図があるのでしょうか?