新改訳2017における改訂箇所は、全節の約9割にのぼります。以下は、その中からいくつかの改訂箇所をピックアップして解説とともに掲載しています。太字は当該節の中で最も重要と思われる改訂箇所を表しており、必ずしも全ての改訂箇所を表すものではありません。
創世記1章26節
第三版 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
2017 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
「似姿」は原文のヘブル語では名詞が用いられていますが、第三版では「似せる」という動詞として訳されていました。2017ではこれを原文に沿って名詞で訳出するようにしました。
レビ記4章22節
第三版 イスラエル人に告げて言え。もし人が、主がするなと命じたすべてについてあやまって罪を犯し、その一つでも行った場合、
2017 イスラエルの子らに告げよ。人が、主がしてはならないと命じたすべてのことから離れて、気づかずに罪に陥り、その一つでも行ってしまった、以下のような場合には──、
第三版で「罪を犯す」と訳されていた原文のヘブル語ハターのニュアンスは、罪を犯しているという状態を表します。また、多くの場合は無自覚です。そのことが明確に分かるようにしました。
レビ記4章20節
第三版 この雄牛に対して、彼が罪のためのいけにえの雄牛に対してしたようにしなさい。これにも同様にしなければならない。こうして祭司は彼らのために贖いをしなさい。彼らは赦される。
2017 罪のきよめのささげ物の雄牛に対してしたように、この雄牛に対して行う。こうして祭司は彼らのために宥めを行う。そして彼らは赦される。
原文における類語との相違が明確に分かるようにしました。また、神の怒りを軽視しかねない現代の神学的傾向を意識し、神の怒りを明示する聖書のメッセージが伝わるようにすることも考慮しました。
マタイ6章9節
第三版 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
2017 ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。
第三版まで「あがめられますように」と訳されていた原文の動詞ハギアゾーについて、その本来の意味である「聖」が明確に伝わるようにしました。(より詳しい解説はこちら)
マタイ6章12節
第三版 私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
2017 私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
第三版の「赦しました」は、原文のアオリスト時制を過去の意味に理解したものと思われます。しかし、近年のギリシア語の時制理解の進展により、この箇所のアオリスト時制は単純な過去ではなく、行為遂行的発話として理解するのがふさわしいと思われるため、現在形で表すようにしました。(より詳しい解説はこちら)
マタイ6章13節
第三版 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
2017 私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』
(欄外注)後代の写本に「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。」を加えるものもある。
第三版までは「国と力と〜」以下を〔〕付きで本文に加えていましたが、本文批評学を重視し、この部分を欄外に記載しているネストレ・アラント28版やUBS第5版を踏襲することにしました。欄外に記載の「国と力と〜」以下を主の祈りに加えるかは、各個教会の判断に委ねられます。
ローマ10章4節
第三版 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
2017 律法が目指すものはキリストです。それで、義は信じる者すべてに与えられるのです。
(欄外注)別訳「キリストは律法の終わり/目標/成就です」「キリストは律法を終わらせました/成就しました」
第三版の「終わらせる」は原文では名詞(テロス)です。ここで意図されていることは、終わって消滅するという意味では無く、律法と福音が連続しているということです。従ってそれが分かるように変更致しました。その他の訳の可能性については、欄外注に別訳として表記することにしました。
出エジプト記22章11節
第三版 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
2017 それは主が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものとした。
この箇所は主ご自身の発話ですが、第三版では、自分の行為について語っている場合にも敬語が用いられていました(自敬表現)。そこで2017ではそのような表現を避けました。
マルコ6章48節
第三版 イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれたが、そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった。
2017 イエスは、弟子たちが向かい風のために漕ぎあぐねているのを見て、夜明けが近づいたころ、湖の上を歩いて彼らのところへ行かれた。そばを通り過ぎるおつもりであった。
第三版では同一の文の中で敬語が複数回用いられていますが、2017ではこのような場合は敬語は一度だけ用いて、重複がないようにしました。同様の用例は他にも多数見られます。
常用漢字の使用
2017 分かる、試す、増える、治す、癒やす、崩れる、担う、注ぐ、背く、献げる、呪う、証し、闇、鍵、蛙、大人、一緒、本当、厳しい、欲しい、立派、見事、大勢、今日 など。
常用漢字表に掲載されている漢字については、基本的に使用するようにしました。なお、以下のように、使用が適切と判断した場合には、常用漢字外の漢字も使用しています。
2017 鉤、飢饉、冒瀆、宥め など。
固有名詞の表記の変更
第三版 アカデ、パロ、アッシリヤ、ギリシヤ など。
2017 アッカド、ファラオ、アッシリア、ギリシア など。
教科書等で使用されている固有名詞を検討し、それらの表記に合わせることが適切と判断した場合は変更致しました。但し、新改訳になじんだ読者が不自然に感じると思われる語については改訂しませんでした。(例:エペソ、ピリピなど)
より自然な表現への改訂
第三版 食べ飽きる、ひもじい、驚きあきれる、呼ばわる など。
2017 満腹する、空腹、呆気にとられる、呼び求める など。
現代の読者にとってより自然と感じられるような表現に改訂しました。