新改訳2017 改訂に至る経緯

「慣れ親しんでいる聖書を、どうして改訂しなけれぱならないのですか」という質問を受けることがあります。確かに、暗唱している聖句が変わるとやっかいです。たくさんの書き込みをしている聖書を手放すのも残念なことです。しかし、改訂はしなければなりません。

理由1 日本語自体の変化

その理由は、第一に、日本語自体が変化していることです。例えば、「言いつける」という言葉から、今日まず思い浮かべるのは、「告げ口」でしょう。しかし、かつては、「命じる」という意味で、使われていました。

理由2 聖書学の進歩

改訂が必要な第二の理由は、聖書学の進歩です。聖書の本文自体、長年の研究によって、変わってきています。 半世紀前、新約聖書の「底本」は、ネストレ・アラント24版でしたが、現在は28版です。例えば、第Iテサロニケ2章7節で、かつては「ーピオイ=優しい」という語が本文にありましたが、現在は「ーピオイ=幼い」です。本文の変更によって、聖書の教えそのものに重要な違いが生じるわけではありませんが、変更すべき箇所は、かなりの数にのぼります。

問題は、本文だけではありません。ギリシア語文法、語彙、文化などの研究も積み重ねられ、多くの新しい注解書や研究書が生まれています。一つ例を挙げましょう。ヘブル11章11節に、「(サラも)子を宿す力を与えられました」とありますが、この表現は、男性が子をもうけることを意味するものであることが判明したので、「アブラハムは、すでにその年を過ぎた身であり、サラ自身も不妊の女であったのに、信仰によって、父となる力を得ました」といった訳に変える必要があります。ティンデル聖書注解のヘブル書(1983年)では、サラが主語という見方を踏襲していますが、エリングワースの詳細な注解書(1993年)では、アブラハムが主語です。

理由3 初版から第三版まで残っていた問題

さらに、改訂が必要な第三の理由は、初版から第三版までで扱いきれなかった問題があることです。例えば、旧約引用や旧新約間の訳語の統一に改善の余地が多くあります。初版は新約から出版し、それに旧約が統きましたので、十分に調整することができなかったのです。

このようなわけで、聖書は変わることのない神のことぱでも、翻訳聖書は、何十年おきかで改訂していくべきものなのです。ドイツ語のルター訳は、16世紀に誕生しましたが、今日でも改訂が統けられています。もともと「新改訳」という名称を採用した背景には、改訂、改訳を積み重ねていくという理念があったからだとも聞いています。